© ゼミ長のブログ All rights reserved.

2015年2月の収支記録と、人生で最も「幸せ」に近づいたであろう日のこと。
20153/19(木)

2015年2月の収支記録と、人生で最も「幸せ」に近づいたであろう日のこと。

最近この収支記録に意義を見い出せず、別な意味でやっぱり相変わらず2本柱のぷちサザエさん的構成で記事を続けますが、ちょっと文章にしてみたいと思った事があるので、してみます。

まずは収支記録からです。今の自分の生活費の御柱。感謝の源。

2015年2月のアフィリエイト報酬と経費

ASP 発生件数 確定件数 発生額 確定額
アクセストレード 291 239 ¥579,320 ¥488,030
A8.net 44 29 ¥178,031 ¥242,368
リンクシェア 8 8 ¥31,551 ¥31,551
某提携会社 3 3 ¥30,000 ¥30,000
メディパートナー 3 1 ¥242,768 ¥106,992
合計 340 231 ¥1,061,670 ¥898,941

という事で約90万円でした。

ちょと下げましたが、今の自分の状況を思うと大変にありがたい結果であります。シェイシェイ。来月はどうなる事やら。ドアウェイにスマホ。胃がキリつきます。

2月に使った経費…記憶にあるやつだいたい

項目 詳細 金額
外注さん 記事作成依頼 ¥12,000
消耗品 レビュー用商品購入 ¥20,000
食事 懇親会・外注さんとお食事など ¥20,000
事務所代 オフホワイトの壁紙のレンタルオフィス代 ¥30,000
合計 ¥82,000

もっともっとガッツリお金を使っていきたいのですが、確定申告で納税額が判明してからというのも、最高に弱気になっています。でもギリギリのラインを見極めて投資していきます。

…ということでいつもですが、ここからが長いです。

幸せなんてことを考えだすともう分からない

今日はちょっと自分では『なんだかなぁ。』と思いつつも、この題材を文章にしてみたいと感じているので、してみます。

前回と同様に、この記事を書いた瞬間からこれは過去の遺物になるという前提で。というより、一文字タイピングする度に過去の遺物になる感覚で。

非常にデリケートな話題にも成り得る?ので、およそ人間が考えられる、この記事に対するすべての解釈に対して、自分から全力で逃げるためにこの前提を書いておきます。

これはもう、サさる、サさらない、という事の話ではないと感じているし、今の自分は極力傷付きたくないからです。(弱)

幸せ。

これは定期的にぼんやりと考えるのですが、今でもやっぱり自分の中では、定義してはいけない言葉というか、幸せという言葉は扱いが難しいなぁ、というのがあります。

そして、ここ1年位は、この言葉を毛嫌いしていたと言いますか。

その理由には、すべての人の行動とかが『幸せになるためには?』とか『充実するためには?』とか『成功するためには?』に繋がることが是、という空気を勝手に感じていたからです。

おそらくですが、きっと『自分は幸せになるために生きているわけじゃない。』と無意識に思いながら日々を過ごしている人も居ると思うからです。

幸せという概念が全くない精神世界で生きている人たちの存在をないがしろにしているような感覚とでも言うのでしょうか…。

この幸せという言葉を投げることで、本当の根っこの部分で大切にしている部分(幸せコア?)が欠けていくような感じ…。

まあとにかく、わけが分からなくなる事の一つとして、自分の中にあります。

そう思うのは、自分の仕事…アフィリエイトというのが、自分にとってはある意味でそういう側面を持っているからでして。(ちょっとだけですが。)

自分はあまり『幸せになるために!』『家族や他者のために!』『充実感を味わうために!』とかでアフィリエイトをしていないのでは…?

という、ことあるごとに葛藤として顔を出すこの感情「そのもの」を自分の中に持ち続け、その答えを無理に導き出さない、定義しない、いわば宙ぶらりんの状態というのが、一番しっくり来ていて、腑に落ちているからです。

何度も何度も振り切れて答えを欲しがっても、その度に苦しくて、どうあがいてもニュートラルに立ち返ることになるのです。

幸せという言葉を発するのは素晴らしい事だと感じている証拠でもあります。

ただ、このような気持ちの堂々巡りも、最近は『単純に自分の想像力と力が及ばないからかも。』と思っている次第でありますが、その理由は後述します。

あばたのヴィーナスの石膏像をデッサンした時のこと

そんな折、ふと自分の人生において『本当に幸せだった時っていつだったかなぁ。』 なんて考えた瞬間がありまして。

そして、『もしかしたら、これが幸せだったのではなかろうか?』という体験が、自分が21才の時にあったことを、最近になって強烈に再認識しました。

最も「幸せ」という言葉を宛がうのに抵抗があるのですが、ここでは適切な言葉が見つからないので、そうします。

記事のタイトルでフックとして使っているのでそうしたまでと言いますか。

21才のときに自分は大学に通っていて、美術部に所属していたのですが、同時に絵画教室にも通い、そこではデッサンもしていました。

理由はやりたいからです。

デッサン自体を結構好んでやっていて、その絵画教室である日「あばたのビーナス」という石膏像をデッサンした時の体験を、今でも鮮明に記憶しています。

あばたのヴィーナス

あまりにも象徴的な体験だったので今でも自宅に保管↑しているのですが、このデッサンをした時というのは、これまで描いてきたどのデッサンの時とも違う感覚になりました。

言葉の表現力が乏しくてアレなのですが、当時の感覚を無理やり言葉で表現してみます。

デッサンをしていたときの感覚を振り返って

その時は、周りの人の気配を感じることはなく、ただひたすらに鉛筆で対象のモノの「影」を浮き彫りにしていくような作業でした。

そこには楽しいとか難しいとか充実しているとか上手く描けているとか、そういう一切の感情がなく、気が付いたら描き上がっていました。

このヴィーナスを描き上げるのに2時間もかかりませんでした。

いつもならこのくらいの石膏像でしたら、4~6時間はかかっていたので、ひとつの題材を選ぶと、大体数回の教室の日に分けて仕上げていくのがあたり前でした。

ですが、このあばたのヴィーナスについてはその日だけで完結していたので、やはり2時間以内です。(1回の教室は2時間。)

これが速いか遅いか?は、自分は美大受験の為にやっていた訳ではないので不明ですが、当時の自分の中では異次元の速さでした。

デッサンを鍛錬だとすれば、当時の自分は圧倒的に鍛錬の量が少なかったので、それと比較すると、本当に500%位の力が出たという感覚です。

始まった瞬間からそのデッサンの全体像が、そのスケッチブックの紙の上に完全にイメージできていたはずです。

紙の上のあらゆる箇所に、鉛筆の鉛をどの程度の筆圧でどれだけの距離を走らせ置いていけば、どの位の明暗として周りと差ができるか?みたいな…。

自分が脳からの信号によって鉛筆という物体をただ動かし、その動かしている腕、手、指先の感触を認識しているだけ…という感じ。

とにかく2時間という時間感覚は一切なくて、本当に一瞬の出来事だったんです。

描きあがった頃を見越して、先生が『今日のはこれで終わっちゃいましたね。来週はもう違うモノにしましょうか。』

というような言葉をかけて頂いた時に初めて我に返りました。

この感覚を冷静に見つめて今感じること

それ以降…ギャラリーでのアルバイトや美術の専門学校への入学、非常に短期で内輪ではありましたが、イラストの仕事、そしてアフィリを通して、このような感覚になったことは、一度もありません。

今思い返すと、いくつかの条件が揃っていたのかな?と分析しています。凄い野暮で嫌いなんですが分析してみると、

・デッサンをする前に『今日は●●しよう。』みたいな意識がなかった。

・その時はその時の事を意識できず、過去になって『あの時は…。』と認識できる類のものだった。

・自分がなんとなく定義できそうな「幸せ」に一番しっくりくる体験だった。

・こういった経験は皆していて、特に一流のスポーツ選手などは、訓練して意識的に(無意識状態)作れる体験なのかな?と思う。

・自分がアフィリエイトの作業においてこういった体験を求めているけれど、ビジネスとしてお金が絡んでいる限り無理だと思うようになっている。

・そんな自分にストレスをめちゃくちゃ感じている今日この頃。

・好きなことを仕事にするのは無理?(自分の場合)

ざっとですが、こんな事が出てくるのです。む…。これは分析ではないですね。感じたことの羅列、です。(苦笑)

好きなことを仕事にするのは不可能なのか?

この最後の「好きなことを仕事にするのは無理?」というのは、最近ちょっと自分の中で気になっていることです。

とりあえず、今の自分にとっては「無理」と言っていいと思っています。

多分お金が絡む全ての事に対して「利害が絡んだ人の思惑」が錯綜するその空気に当てられるが、とても苦手だからです。

『何をクソ甘な事を言ってるんだ!』

と言われるのは百も承知なのですが、そうなってしまうんですもん。(ちょっとかわいく言う感じで誤魔化したい。)

特に人に悪意を向けられた時なんて、ほんと「まずは逃げ」の姿勢になります。脊髄反射で。「まずは反論」は無いんです。出来ないと言いますか…。

反対に、自分が他者との対立を好まなくても、どんな形であれ、世間に対して公の場で何かを発信した場合、自分の傍に居て欲しい人すらも意図せず傷付け、対立軸を作ってしまうことも、このブログやサイト公開を経験し、身体で理解する事ができました。

今の自分にとって、理想の体現はとても困難であり、もう力なんて遥か遠く及ばないというか、いやもう多分無理なんだろうな…って感じつつも、その方法を「模索すること自体」は続けます…というか続きます。

池に泳ぐメダカが『人間になりたい。』と想って、そのことを想像しているとしたら、その想像する事に何か大切なものがあるような気がしちゃうんです。

行動すること以前の「想像」の方にです。

本当に好きな事を仕事にしている人たちはいっぱい居る

幸せと不幸って表裏一体ですから、もう答えを見つけようとしたら、ぐるぐる回り続けます。

例えば誰もが知る偉大なロックミュージシャンが『自分は好きな事だけやって生きている。』って言ったら、多分それは本当なんだと思います。

先日とあるミュージシャンの対談記事を読んで、素直にそう思いました。

思いますが、自分はそういう事を「腑に落ちる自分の体験」として持っていませんから、疑うわけですよねぇ。

『その発言こそがロックンロール!』

というポジショントークみたいに。偉大なアーティストはある意味では象徴であって欲しいな~とも思うわけです。

まあとにかく、ひねくれちゃう自分です。

でも、辛うじて頭が凝り固まってはいませんから、(本当に?)そういう自分が信じられない世界に居たり、はたまた作り上げちゃう人も居ることだけは、確信してます。

自分の場合はお金がダイレクトに絡むと、上で体験したような、自分が最も幸せに近づける体験ができない、という考えがガッチガチにありますから、やっぱり身体で信じきれません。

そろそろ、このジレンマと一生付き合っていく覚悟をしないといけないなぁ、と思ったりなんかしちゃってますが、結局そのタイミングなんて自分で決められるようなものでもないなぁ…とも思っています。

イヤらしくもココまで色々書いてみて、今から自分がやる事、やりたい事は、アフィリエイトサイトのスマホ化の仕事なんです、はい。

アフィリエイトをただただ続けます。

 

何というかこの記事は、何かを言っているようで、結局なーんにも言っていない、そんな記事にしたくて書いてみました。(笑)

読んで頂いた方…もの凄く感謝です!

次回の記事は普通に旬なネタとして「4月21日に向けて自分のサイトのスマホ化した時にやったこと、その経過・結果」などをまとめてみようかな?と思います!

  • はてなブックマークに追加
2015年1月の収支とTwitterで満たした青臭い承認欲求、入れ替わる新たな承認欲求2015年1月の収支とTwitterで満たした青臭い承認欲求、入れ替わる新たな承認欲求HOMEへ戻る
ページ上部へ戻る